大青江
名刀レスポンシブ1
大青江(おおあおえ)貞次
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青江貞次の作
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享保名物帳所載
大青江 象嵌銘長二尺五寸六分 代千貫 松平長門守殿
加州御家に古より青江上々作の刀二腰あり、内寸長き故大青江と云、小松中納言殿より松平淡路守殿へ御遣し、昔は千貫の代付也、光知談合致され千五百貫に可仕、御状有之貞治本阿判 -
ただし、「詳註刀剣名物帳」では”松平長門守(長州毛利家)”は”松平加賀守”の誤りであるとしている。
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小松中納言は前田利常、松平淡路守は利常次男の前田利次。
来歴
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もとは上杉謙信所持で、景勝が前田利家に贈ったものであるという。
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前田家に伝来し、小松中納言前田利常が次男の前田淡路守利次(越中百塚十万石)に与える。利次はのちに富山城へ移り、富山前田家の祖となる。光室の孫にあたる光和は、本家と相談すれば千四百貫になると鑑定を勧めたがそのまま置かれたという。
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享保名物帳編纂の頃にも富山前田家にあった。
- 越中富山藩の第3代藩主・前田利興(在位:1706-1733)は、宝永3年(1706年)に家督を継ぎ、元禄7年(1694年)12月18日に従四位下、長門守に叙任されている。宝永3年(1706年)家督。前田利興は越中富山藩2代藩主・前田正甫の次男。延宝6年(1678年)5月27日富山で生まれる。幼名万徳丸、のち主膳。母は加藤彦三郎の娘。貞享4年(1687年)3月15日、10歳で出府。元禄7年(1694年)12月18日に従四位下、長門守に叙任。宝永3年(1706年)家督。享保9年(1724年)に養子の利隆(父・正甫の五男で弟)に継いで隠居した。享保18年(1733年)死去。享保年間に、利興の家臣吉村新八が将軍徳川吉宗に鮎寿司を献上したとき絶賛されたことが鱒寿司のルーツだと語られている。
- 越中富山藩の第3代藩主・前田利興(在位:1706-1733)は、宝永3年(1706年)に家督を継ぎ、元禄7年(1694年)12月18日に従四位下、長門守に叙任されている。宝永3年(1706年)家督。
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幕末には本家である金沢の前田家に移っていたものとみえ、文化9年(1812年)3月本阿弥重郎左衛門が本家の刀の手入れをしている際の記録にこの大青江も残っているという。
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その後また富山に戻されたと見え、明治になると富山前田家の名義になっている。
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昭和10年(1935年)12月18日に重要美術品指定。前田利男伯爵所持。※加賀前田宗家に移っている
刀 金象嵌銘貞次磨上之 本阿(花押)(名物 大青江)
紀尾井町 伯爵前田利為
(昭和8年 文部省告示第四百二十二號) -
昭和32年(1957年)2月19日、重要文化財指定。
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昭和36年(1961年)11月の日本刀剣保存会秋季特別会では神崎正義氏の所持となっている。
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昭和41年(1966年)でも神崎正義氏の所持。
- ※神崎氏は昭和42年(1967年)没。
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昭和61年(1986年)の
日本刀重要美術品全集所載。昭和32年(1957年)2月19日 刀 金象嵌銘 貞次磨上之(名物 大青江)
二尺五寸七分
神奈川 神崎正義
昭和10年12月18日重美 前田利男
重文 神崎正義- 関連「小青江」
大青江次直
短刀
銘 備中国住次直作/延文五年二月日
九寸四分半