十万束
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十万束(じゅうまんぞく / じゅうまんつか)
由来
- 由来は諸説ある。一束とは禾稲(脱穀前の穎稲)十把のことで、一把は両手の拇指と中指でつかめる量をいう。
一段を二百五十歩としていた時代は、五歩の田から採れる稲の量を一束とした。これを脱穀すると一斗(現在の4升)となり、舂き米となるとその半分の5升として計算した。 - この太刀は、稲束10万ほどもするという非常に高価な意味で「十万束」と号がつけられたとされ、室町時代からこの名で呼ばれていたとする。
来歴
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出羽庄内藩酒井家に伝来。
出羽庄内藩は酒井忠次の嫡流、左衛門尉酒井氏が明治維新まで治めた。酒井忠次は徳川四天王の一人、初代藩主の酒井忠勝は、その嫡流の左衛門尉酒井氏酒井家次の嫡男。譜代の名門の家柄である。 -
幕末まで同家に伝来する。
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その後徳川宗家に献上されたのか、明治32年(1899年)4月30日、徳川家達が嘉暦二年年紀銘の来国光とともに東宮(後の大正天皇)に献上。
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現在御物。