利休七種
名刀レスポンシブ1
利休七種(りきゅうしちしゅ)
楽焼の初代長次郎作の茶碗のうち、千利休が名作と見立てたと伝えられる七種の茶碗
- 「長次郎七種」とも。
- 黒楽茶碗3種、赤楽茶碗4種から構成されている。
利休七種一覧
- 【大黒(おおぐろ)】 :黒楽茶碗 大正期鴻池[現存] 重要文化財
- 【鉢開(はちびらき)】 :黒楽茶碗 ※現存せず
- 【東陽坊(とうようぼう)】 :黒楽茶碗 大正期井上世外 [現存] 重要文化財
- 【臨済(りんざい)】 :赤楽茶碗 ※現存せず
- 【木守(きまもり)】 :赤楽茶碗 大正期松平賴壽
- 【早船(はやふね)】 :赤楽茶碗 大正期藤田男爵 [現存]
- 【検校(けんぎょう)】 :赤楽茶碗 ※現存せず
概要
- 利休七種(内七種)、外七種、新撰(新組)七種
長次郎の代表作で古来もっとも有名なのは、利休好みのいわゆる利休七種で、すなわち黒では大黒・東陽坊・鉢開、赤では早船・木守・臨済・検校の合わせて七碗で、このうち現存するものは大黒・東陽坊・早船の三碗だけである。利休七種はまた内七種ともいうが、これに対して外七種というのも撰ばれており、それは黒では雁取・小黒・閑居、赤では一文字・太郎坊・聖・横雲の七碗である。また利休七種にならって後世、金森得水や稲垣休叟が撰定したものに新撰(新組)七種がある。すなわち黒では閑居・ムキ栗(四方)・針屋・風折(筒)・
村雨(筒碁笥底)、赤では太郎坊・二郎坊の七碗である。このほか有名なものに、禿(黒)・まこも(黒)・桃花坊(黒)・紙屋(黒)・無一物(赤)・勾当(赤)・道成寺(赤)・俊寛(黒)・乙御前(黒)・貧僧(黒)・北野(黒)・あやめ(黒)・面影(黒)・喝食(黒)などがある。なお馬盥形の平茶碗も利休好みの一種で、代表作に利休平(黒)がある。
(茶道美術全集)
大黒(おおぐろ)
楽焼黒茶碗
銘 大黒
長次郎作
重要文化財
個人蔵
由来
- 色が黒く極上々の出来であり、福福しい趣きがあるためという。
来歴
-
利休、少庵、千宗旦
大クロ
利休所持
少庵伝
宗旦
後藤少斎ヨリ
宗左へ来早船の「大黑を紹安(※千道安)にとらせ可申候」という手紙と矛盾する。 -
鴻池善右衛門所持
-
昭和28年(1953年)3月31日重要文化財指定。
鉢開(はちびらき)
楽焼黒茶碗
銘 鉢開
長次郎作
由来
- 鉢が開きすぎた形から。
- 利休が、出家したならばこの茶碗を持って托鉢なされよといったという。
来歴
東陽坊(とうようぼう)
楽焼黒茶碗
銘 東陽坊
長次郎作
重要文化財
個人蔵
由来
-
東陽坊長盛所持にちなむ。
-
東陽坊長盛は安土桃山時代の天台宗真如堂の僧侶、茶人。茶を千利休に学ぶ。真如堂は真正極楽寺(京都市左京区浄土寺真如町82)の通称。
-
建仁寺本坊にある茶室東陽坊は、秀吉の北野大茶湯の際に長盛が立てた茶室を移築したもの。慶長3年4月4日没。
-
内箱 桐 白木 蓋甲書付 利休居士筆。蓋裏書付 仙叟(宗室)及び文叔(宗守)兩筆
東陽坊
東陽坊黑茶碗
利休所持蓋之書付
自筆
宗室(花押)
宗守(花押)
来歴
-
中井主水。
-
武田叔安。
江戸中期の医師。本姓黒川。武田杏仙の家督を継ぎ、幕府の医師となり法印へと進む。武田杏仙法印。安永2年(1773年)12月没。 -
元禄10年(1697年)に金十五枚で鴻池道億が買い取る。武田叔安から道億への譲り状が附く。
道億は豪商鴻池家の一族。山中道億とも。鴻池秀重と木村治郎右衛門の娘の間に生まれた。名は善三郎。号に光漸、凡斎など。晩年出家し、万峯道億居士を称した。この「東陽坊」のほか、利休七種の「大黒」、「本能寺文琳」(五島美術館所蔵)など多くの茶器を所有し、目録は「鴻池家道具帳」として知られる。 -
万延2年(1861年)に五百両で鴻池善右衛門所持となる。
-
昭和37年(1962年)6月21日重要文化財指定。
臨済(りんざい)
楽焼赤茶碗
銘 臨済
長次郎作
- 実は有楽焼だという。
由来
-
焼き破れが5ヶ所あり、これを臨済宗五山派(京都五山)に喩えて臨済と名付けたという。
-
箱書付
臨済
宗易所持
赤茶碗
臨済
宗旦(花押)
来歴
- 利休所持。
- 織田監物所持。
木守(きまもり・きもり)
楽焼赤茶碗
銘 木守
長次郎作
由来
-
ある時利休が茶碗7碗を出し、好み次第に遣わそうといったが、この茶碗ひとつだけが残ったためという。
あるいは、最後まで残したとも、柿に似ているからともいう。 -
木守とは「木守柿(木守柿)」のことで、来年の実りを念じて晩秋柿の木にひとつだけ残す実のこと。俳句で冬の季語にもなっている。
-
内箱 真塗 金粉書付 一翁筆
利休所持
木守茶碗 -
外箱 桐春慶塗 金粉書付 文叔筆
木守 茶碗
-
大正年間の外箱 桐木地
木守御茶碗
一翁書付
文叔外箱書付
居士所持官休庵
伝来
松平家所蔵
官休庵
九世宗守(花押)
来歴
-
武者小路千家の2代少庵宗淳(千少庵)、3代元伯宗旦(咄々斎)、4代一翁宗守(似休斎)と伝わる。
-
堅叟宗守から高松藩主松平讃岐守(水戸御連枝)に献上する。高松藩ではこの茶碗を珍重することに惜しまず、三葉葵の定紋を染め抜いた紫の幔幕を作らせて一筋の槍を選び、木守を運ばせる際にはこの槍であたりを払ってから安置したという。
-
天保10年(1839年)の利休居士二百五十年遠忌。於官休庵追悼茶事
床 青磁 柑子口花入
花 白玉椿
高松侯より拝借
長次郎作木守御茶碗 黄帛紗敷
飾置 -
大正8年(1919年)に官休庵を再興した愈好斎がこの木守を松平家から借り受けて茶事を催した。のち返却される。
茶碗 木守 利休居士所持長次郎七種之内伝来
箱一翁外箱文叔書付
旧藩主高松松平家より拝借、但亡羊裂敷き床上に飾る
一入作気持ち写を用ゆ 真伯直斎箱書付 -
松平頼寿伯爵所持の時に関東大震災で罹災するが、樂吉左衛門13代惺入が写しなどを参考に修復する。
早船(はやふね)
楽焼赤茶碗
銘 早船
長次郎作
畠山記念館所蔵
由来
-
大坂で開く茶会のために、利休が早舟で京都からこの茶碗を取り寄せたことに由来するという。あるいは、細川忠興(三斎)が何焼かと尋ねたところ「高麗から早船で取り寄せたものだ」と利休が答えたためともいう。
早ふね茶盌は樂焼也。易茶を御点候を忠典公問て云。是ハ何焼ニ候哉。易答云。早ふねを仕立高麗へ取に遣候也。後刻忠興ヨリ、只今ノ早船ヲ申受度トノ書状参。是ヨリノ名物也。
-
内箱 桐 木地 張紙書付 利休居士筆
は屋ふ祢
-
蓋甲書付 早船 矢倉竹翁筆
来歴
-
細川忠興(三斎)や古田織部が所望したが、けっきょく蒲生氏郷に譲られたという。これについては、利休が書状を書いて喧嘩しないよう説いている。
此暁三人御出きとくにて候。とかく思安候て。色々申シ分候而も不聞候。我等物を切に大黑を紹安(※千道安)にとらせ可申候。はや舟をハ松賀嶋殿(※氏郷)へ参度候。又々とかく越中(※三斎)サマ御心へ分候ハてハいやにて候、此理を古織(※古田織部)と御談合候て、今日中に御済有へく候。明日松殿(※氏郷)ハ下向にて候。何にとも早舟事うハさなく候ひてもむつかしく候て越中殿へ心申候て、右如申候。はや舟をハ飛ハし参候、大くろを紹安に可被遺候事、乍迷惑其分ニすまし可申候、已上かしく。
十九日
両三人まいる蒲生氏郷が伊勢松ヶ島12万石を与えられたのは、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い後。氏郷は松ヶ島の南東4キロの小高い丘である四五百森(よいほのもり)に築城を開始し、完成した天正16年(1588年)に入城し、城下町を「松坂」と改めている。
「大くろ(大黒)を紹安(千道安)に」となってはいるが、上で見たように実際には大黒は千少庵へと伝わった。 -
桔梗屋又右衛門(文左衛門)が八貫目で買い入れる。
-
のち京都の大文字屋宗夕所持。
あるいは京都葭屋町一条上ル大善院ともいう。 -
金沢の亀田是庵。
-
藤田財閥創始者の藤田伝八郎。昭和9年(1934年)4月に十萬圓で入札
-
荏原製作所の創立者畠山一清が購入し、現在は畠山記念館所蔵。
-
利休七種の赤楽茶碗では、唯一現存する。
検校(けんぎょう)
楽焼赤茶碗
銘 検校
長次郎作
由来
-
ある時利休がこの茶碗を弟子に出した所、反応が良くなかったために、利休がこの茶碗の良さがわからぬのならば検校であるといったという。
-
あるいは、この茶碗が樂長次郎の元に残されていたためともいう。
-
箱書付
利休検校名付
長次郎焼
赤茶碗
宗左(花押)
宗室(花押)
来歴
- 薩摩屋素伯
- 井筒屋重右衛門
長次郎外七種
長次郎外七種一覧
- 【雁取】 :黒楽茶碗 大正期井上世外 サンリツ服部美術館所蔵
- 【小黒】 :黒楽茶碗 ※現存せず
- 【閑居】 :黒楽茶碗 [現存] 重要美術品
- 【一文字】 :赤楽茶碗 大正期井上世外
- 【太郎坊】 :赤楽茶碗 大正期鴻池男爵 今日庵所蔵
- 【聖】 :赤楽茶碗 ※現存せず
- 【横雲】 :赤楽茶碗 大正期桑名水谷氏
長次郎外七種
黑茶碗 雁取 小黑 閑居
赤茶碗 一文字 太郎坊 聖 横雲
(のんこう自筆樂家の譜)
- 「濡烏」、「まこも」、「あやめ」が入ることもある。
- 【濡烏(ぬれがらす)】 :
雨に濡れたる烏の羽︀色は黒樂にこそ相應かるべきに赤樂に此銘あるは必ず其理由なかる可らず、雜記中富永贛の一説の如き當に考量に値すべきなり。
ヌレカラス 西徳玄庭銘
此茶碗、茶事祕録及茶湯古事談等に、名物として其名を掲げらる。内焼竈長次郎傳及伏見屋筆記の名物茶碗集に「西徳玄庭銘、要法寺より出づ、日野屋又右衞門」とあり。惟ふに西徳玄庭と云ふ人、要法寺の住職なりしか。要法寺は京都洛東法林寺の東に在り、法華宗勝劣派二十一刹の一なり。日野屋又右衞門は名物貧僧の茶碗を所持せしが、其銘柄を嫌ひ、濡鳥を貧僧の箱に入れ替へ、金四十兩にて鱗形屋市兵衞に賣りたるが、其價の斯く安かりしは、箱を取替へたるが爲めなりとぞ、其後前記添書付に見ゆるが如く金澤の川口久次、大阪の鹿島屋久右衞門、道具商鍵宇、又は加州の藤懸庫太に轉傳して、遂に現所持者伊藤吉六氏の父甚助、俗稱角二(カクニ)の購求する所となれり。角二は嘗て名物貧僧茶碗を所持し、人に懇望せらるゝも之に應ぜざりしが、明治十七年八月この濡鳥を手に入れたるを以て、初めて貧僧を手放したりと云ふ。
- 【真菰(まこも)】 :千利休プロデュースの黒茶碗 | 藤田美術館 | FUJITA MUSEUM藤田美術館 | FUJITA MUSEUM
元利休所持にして千宗旦に傳はり、更に中村宗哲に傳はり、明暦三年宗哲より久須見疎庵に傳はり、宝永四年五月十三日、疎庵より京の銭屋江原忠七に譲與せり。次で享保十二年十二月、忠七は四〇兩にて之を泉州岸和田の人矢倉與一に譲渡せしが、其後京の山下祐巴の手に入り、文政五年二月祐巴所持道具売払の節、大阪道具屋勝兵衛の手を経て大阪鴻池伊兵衛の購求する所となり、後終に藤田家の所蔵と為る。
あやめに似て少し麁なる故此名目あり。
あやめまこも二つの茶碗、まこもは千宗旦所持あやめは千宗守に有之。右まこも宗旦より中村宗哲へ伝り宗哲より此方へ参候也 明暦丁酉
- 【渓蓀(あやめ)】 :黒楽茶碗 銘 あやめ – MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART
千宗旦、一翁宗守、官休庵、永楽善五郎、草間伊兵衛。
利休「長次郎焼 茶碗」
元伯「あやめ (花押)」
雁取(がんとり)
黒茶碗
銘 雁取
長次郎作
サンリツ服部美術館所蔵
-
がんどり。
-
千利休、芝監物、仙叟宗室、井筒屋太良兵衛、窪田正衛・左門親子、松屋作左衛門、矢倉理右衞門、本多安房守(加賀八家)、能久平、井上馨
元利休所持にして芝監物に贈り、其返禮として雁を與へられけるにより、雁取の名あり。其後千仙叟宗室相傳へ、元祿十六年井筒屋太郎兵衞の手に渡り、窪田正衞、左門父子を経て、堺の松屋作左衞門に傳はる。明和七年四月、作左衞門金參百兩銀五十枚にて之を京の矢倉理右衞門に譲りしが、其後加賀の本田安房守に傳はり、更に轉じて金澤市能久平氏の有となる。是より先き利休の雁取の文は、茶碗と離れて本田家より井上世外侯の手に渡りしかば、明治四十五年五月、世外侯の金澤に赴くや、雁取の文を携へて能氏宅を訪ひ、文と茶碗と對面せしめしにぞ、大正二年十一月、能氏は茶碗を携へて上京し、井上侯邸に於て再び文と對面せしめぬ。然るに、翌三年冬能氏京都に於て藏器入札の節、此茶碗一旦親引となりたるを、林新助氏取次ぎて、古河虎之助男に納め、男より世外老侯八十年賀として改めて之を老侯に贈呈せり。
先に「雁取の文」が井上世外に伝わっており、明治45年(1912年)5月に井上は高橋義雄とともに金沢の能家を訪れている。能家でははじめ井上に「雁取」を見せるつもりはなかったが、井上が「雁取の文」を見せると驚喜し、見せたのだという。大正2年(1913年)11月には井上はお礼にと親子はじめ金沢の好事家を麻布の内田山に招待して茶会を開いている。その1年後大正3年(1914年)11月に「雁取」を含む能家の所蔵品463点の入札が京都美術倶楽部で行われ、そこでは「雁取」は落札されなかったものの、札元の一人である林新助が古河虎之助に相談したことで古河がこれを買取り、井上80歳のお祝いに贈呈したのだという。こうして「雁取」および「雁取の文」の両方を手にした井上世外であったが、その翌年の大正4年(1915年)9月1日に死去した。松屋作左衛門→抱真斎(矢倉理右衞門の子・森田士徳)→西山氏→福久瓢斎→能久平・久治親子と移ったともいう。
由来
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利休、此茶碗を芝監物に贈りたるに、其返禮として鷹野の雁を與へられければ、利休「思ひきや大鷹よりも上なれや やき茶碗めが雁取らんとは」と一首の狂歌を書付けて、更に挨拶の一札を送れり、是れより人此茶碗を呼んで雁取といふとかや。
- これを「雁取の文」と呼ぶ。仙叟宗室の頃にはすでに加賀本多家にあったという。
-
袋 黄地紹鴎純子緒つがり紫
-
替袋箱 杉 白木
-
四重箱 桐 白木
- 表「長次郎焼」
- 裏書付井上世外侯
仙叟が此茶碗の箱に
書付せしころは利休の
雁取の文は加州本田家に
ありしを故ありて今は予が家に
藏せり文中の歌は仙叟箱書付に
相違あるは或は傳聞誤ならんか
能氏此茶碗の携へて來れり需に
よりて其事がらを記す
癸丑仲冬 世外(花押)
-
五重箱 桐白木
雁取
箱書付
江岑
仙叟
世外侯等 -
大正8年(1919年)10月29日、東京市麻布井上勝之助邸にて高橋義雄が実見している。
-
現在は、サンリツ服部美術館所蔵。
閑居(かんきょ)
黒茶碗
銘 閑居
初代楽長次郎作
重要美術品
現存
-
藤村庸軒が所持し、その後は鴻池家で所蔵されていた。
藤村庸軒(1613-1699)は久田家初代の久田宗栄の次男。呉服商十二屋の藤村家に養子に入り、茶道庸軒流の開祖となった。小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)から教えを受け、のち千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。長次郎七種のうち大黒、閑居、太郎坊も所持していた。 -
長らく所在不明であったが、2026年2月21日の毎日オークション「岩田家旧蔵特別コレクション」に出品され、9億2000万円で落札された。
岩田惣三郎氏旧蔵品。尾州銀行・甲子興業・岩田商事・中外綿業を設立し、摂津紡績(のちの大日本紡績)の設立にも加わった。子孫にアスクル創業者の岩田彰一郎氏がいる。
一文字(いちもんじ)
赤茶碗
銘 一文字
長次郎作
- 利休、千宗旦、初代古筆了佐、鍵屋宗守、(一条小川地黄丸屋岡田宗有)、(両替町戸倉家長左エ門)、佐波五兵衛、桑名山田彦左衛門、戸田露吟、井上世外、益田孝鍵屋は鎰屋とも書き、京都押小路通に鍵屋町が残る。「鍵屋宗珠」という人物(本朝陶器攷證)や「かぎや宗因」という人物(樂焼名物茶碗集)も所持していたといい、恐らく鎰屋一族が所持していた時期があるのだと思われる。
由来
-
茶碗の内に利休の一文字の判あるが故に此名あり。
-
金森得水「本朝陶器攷證」には、「樂家の傳へなりとて、女院様茶碗内に朱にて一文字をしるされし故に名とす」と記せり。
-
袋 白紋羽︀二重七星紋緒つがり白
-
内箱 杉 白木 書付古筆了佐
利休居士一文字判形有之[印]
茶碗千宗旦ヨリ來ル- 袋 白茶地鳳凰玉取龍丸紋七寶地紋裏白りんず、緒つがり白
- 袋 白茶地鳳凰玉取龍丸紋七寶地紋裏白りんず、緒つがり白
-
外箱 桐 野郎蓋縁に足木あり。蓋裏に随流斎宗左(表千家5代)と真伯宗守(武者小路6代)の書付あり。
利休所持 長次郎焼 赤茶碗 一文字判有 不審庵(花押) 宗守(花押)
伝来
- 千利休
- 千宗旦
- 初代古筆了佐 ※了佐は寛文2年(1662年)没
- 鍵屋宗守
- 一条小川地黄丸屋岡田宗有 ※黑茶碗一文字だという。
- 両替町戸倉家長左エ門:寛保3年(1743年)金七千兩 ※寛保2年(1742年)とも
- 佐波五兵衛
- 伊勢桑名山田彦左衛門
- 戸田露吟:明治24年(1891年)3月
- 井上馨(世外):明治34年(1901年)3月
- 益田孝(鈍翁)旧蔵:大正14年(1925年)11月9日入札で弐萬二千八百圓にて落札。
- 大正8年(1919年)10月29日、東京市麻布井上勝之助邸にて高橋義雄が実見している。
太郎坊(たろうぼう)
赤茶碗
銘 太郎坊
長次郎作
今日庵所蔵
- 伝来。
初め利休京愛宕山太郎坊の需に応じ、楽焼師長次郎に造らしめ太郎坊に納め、後利休之を所持して宗旦に傳へ、宗旦更に之を藤村庸軒に傳ふ而して庸軒が此茶碗を以て茶事を行へることは、雑記所掲の如し。然るに鴻池道億甚だ此茶碗を好み、切に譲與せられんことを請へども庸軒容易に之に應ぜず、因て更に楽焼師吉右衛門を以て再三懇望するに及んで、遂に之を割愛せり。其後京都の道具商仲満の入札に出たるを、二百兩(或は三百兩と云ふ)にて今の鴻池男爵家の購求する所と爲る。
由来
-
太郎坊とは愛宕の坊へ好んで遣はす、仍て名付けらる(尾州富永贛著茶器名形篇)
富永贛とは富永南陔のこと。江戸後期の国学者。1775-1854。尾張藩家老の石河氏に仕えた。 -
内箱 桐 白木 書付 表宗旦 裏仙叟 裏「太郎坊」三字庸軒筆
長次郎赤茶碗 宗旦(花押)
太郎坊
利休所持分赤茶碗則箱ノ上書付宗旦名判有之宗旦所持常祕藏申候故重而書付調申候
宗室(花押) -
外箱 桐 白木
-
大正9年(1920年)5月四日大阪市鴻池善右衛門男爵邸にて高橋義雄が実見している。
-
現在、今日庵所蔵。
聖(ひじり)
赤茶碗
銘 聖
長次郎作
横雲(よこくも)
赤茶碗
銘 横雲
長次郎作
- 利休、家原自仙、三井八郎右衛門、藤田彦太郎、田中四郎左衛門
由来
-
茶碗の景色、暁天に横雲のたなびきたるが如くなるに由りて名とせるならん。
-
内箱 桐 白木 書付仙叟宗室
横雲
利休所持
横雲赤茶碗
長二郎焼
千宗室(花押) -
中箱 黒塗
-
外箱 桐 白木 書付 如心斎
雲
利休横雲赤
茶碗
長次郎焼
仙叟宗室書付あり
如心斎(花押)
家原氏
参 -
大正9年(1920年)11月9日、東京市麹町田中四郎左衛門邸にて高橋義雄が実見している。
新撰(新組)七種
新組七種一覧
- 【閑居】 :黒楽茶碗 利休在判
- 【剥栗(むきぐり)】 :黒楽茶碗 覺々斎銘
- 【針屋】 :黒楽茶碗 利休所持 元伯書付
- 【風折】 :黒楽茶碗 利休所持 宗旦銘
- 【
村雨】 :黒楽茶碗 原叟銘 - 【太郎坊】 :赤楽茶碗 宗旦銘 元伯書付
- 【二郎坊】 :赤楽茶碗 随流銘 ※次郎坊
- 「平」が入ることも。