伏見貞宗
名刀レスポンシブ1
伏見貞宗(ふしみさだむね)
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享保名物帳:名物追加に記載されている名物
伏見貞宗 長不明 加藤和泉守
由緒、寸尺、代付未詳 -
真の棟、差表に梵字と鍬形付き素剣。裏に腰樋。鋩子小丸。なかご生ぶ、目釘孔3個。無銘、差表に「貞宗」裏に「本阿(花押)」と本阿弥光温の朱銘。
由来
- 号の由来は不明
来歴
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加藤嘉明が”加々爪甲斐守”から入手したという。
加々爪甲斐守の詳細は不明。加賀爪上杉家8代当主で、武蔵国高坂藩初代藩主となった加賀爪直澄は従五位下、甲斐守だが、時代がやや合わない。直澄は家光の下で小姓を務めたのち2000石が与えられ、書院番頭・大番頭などの要職を歴任した。寛永18年(1641年)に父・忠澄が死去するとその旧領9500石を合わせて、最終的には1万1500石の大名となっている。
その祖父・政尚(従五位下、備後守)、あるいは父・忠澄(従五位下、民部少輔)かも知れない。 -
のち江州水口藩加藤家に伝来。朱銘は本阿弥光室が入れたもの。
江州水口藩加藤家は、賤ヶ岳七本槍の1人として知られる加藤嘉明の孫(加藤明成の庶長子)、加藤明友が2万石で近江国水口城主となり立藩したのに始まる。水口城は造園の名手である小堀遠州(政一)の手によるものと伝わる。子の明英の代に寺社奉行から若年寄に昇進し加増を受けたために下野壬生藩に移封するが、のち後を継いだ加藤嘉矩が再び2万5千石で入封し、その後明治まで続いた。 -
宝永元年(1704年)5月3日付、本阿弥光忠の三百貫の折り紙つき。
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明治になり本阿弥光遜氏が購入した後、黒川古文化研究所の黒川福三郎(3代幸七)氏に譲渡したという。
ただし年代から考えると2代目黒川幸七ではないかと思われる。 -
昭和8年(1933年)重要美術品指定。黒川福三郎氏所持。
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昭和13年(1938年)7月4日に旧国宝(重要文化財)指定。
短刀 朱銘 貞宗 本阿(花押)
大阪府大阪市天王寺區上本町八丁目 黒川福三郎
(昭和13年 文部省告示第二百五十六號) -
昭和29年(1954年)3月20日に国宝指定。
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現在は黒川古文化研究所が所蔵。
伏見貞宗(ふしみさだむね)
短刀
八寸五分