名刀幻想辞典

小鴉丸

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小鴉丸(こがらすまる)

太刀
子烏丸
二尺六寸五分

  • 抜丸」とともに、平家一門の家宝であったと伝えられる名刀。
  • 「子烏丸」、「小烏丸」とも。
    ※現在山里御文庫 御剣庫蔵(宮内庁管理)の刀の伝来は「別項」を参照のこと。

銘・剣形

  • 「大宝二年八月廿五日 天国」、あるいは「大宝三年 天国」。
    • ほかにまたは「大同二年 天国」としたものがあるが誤写であるとされる。

剣形

  • 古刀剣書において、刃長については二尺六寸五分(80.3cm)で一致している。
  • また剣形についても、薙刀の中心を切ったようであり、中心は短いということでも一致している。

作者

天国作説

  • 一般には、日本で最初に名を残した大宝の頃の大和国宇陀郡の刀工、天国(あまくに)の作と言われる。

    小烏丸 大和天国 平将軍陸奥守忠盛太刀 後足利義氏ヘ三浦和田三郎ヨリ傳
    古刀銘尽大全

諷誦作説

  • 享徳元年(1452年)の奥書がある「鍛冶名字考」に次のように書かれている。

    諷誦
    平家ニ小烏ト云太刀作者也
    コノ小烏ハカマクラノ法華堂厨子ニコレヲヲサメラル
    又切居ト云太刀ノ作者トモ云
    ヨロイ武者ヲキリスヘケルユヘニキリスヘト名付タリ
    源氏重代ノヒケ切ノ作者シラスト云ヘトモ実ニハ諷誦之作ト云々

    諷誦は「ふじゅう」または「あきたか」ともいう。これによれば「切居」という太刀、さらに源氏重代の「髭切」の作者であるともいうが…

由来

  • 桓武天皇が南殿に立っていられる時、一羽の大きな烏(八咫鴉)が帝の前に飛んできて、伊勢神宮の御使いと奉上し、飛び立ったあとに一振りの太刀がおかれていたという。「小烏丸」の名はその大鴉の羽から出てきたとの伝承に由来する。

    小烏と云太刀は、彼唐皮出来て後、七日と申未刻に、主上南殿に御座て東天を御拝有ける折節に、八尺霊烏飛来て大床に侍、主上以御笏被招召けり。烏依勅命躍上、御座の御縁に觜を懸て奏し申さく、我は是、太神宮より剣の使者に参れりとて、羽刷して罷立けるが、其懐より一の太刀を御前に落し留けり。主上御自此剣を被召て、八尺の大霊烏の中より出たる物なればとて、小烏とぞ名付させ給ひける。

  • 由来には異説がある。

【平貞盛】
平将門のころ、将門討伐を命じられた貞盛が朝廷より拝領した。将門は兵法をもって八人に分身したといい、貞盛が拝領の太刀で兜の天辺に小さな烏の像をつけている一人を斬ったところ、将門も斬られた。このために「小烏丸」と名付けられた。
つまり将門討伐の際に、兜の天辺に小さな烏の像をつけている本物の将門を斬ったために名付けたという。
小韓鋤こからすさび
幕末の国学者が唱えた説で、韓鋤(からすさび)とは朝鮮半島から渡った剣のこと。日本書紀で鋤をサヒ(からさひ)と訓ませており、それがシ(からし)に転じた結果、小韓鋤がコカラシになり、さらにシがスに訛ってコカラスになったとする。ただしこの説は、現代では文字遊びにすぎないと一蹴されている。
※この時代はすでに湾刀のいわゆる日本刀が主流となっており、鍛錬方法も異なる朝鮮半島由来の直刀を武家が用いる理由がない。

来歴

  • 平貞盛が拝領し、伊勢平氏・六波羅流に伝来した。
                 【伊勢平氏】         【六波羅流】
    平国香(良望)──平貞盛──平維衡──平正度──平正衡──平正盛──平忠盛──平清盛
     
     
     
            崇徳天皇
            近衛天皇
             藤原成子 式子内親王
              ├───┴以仁王              順徳天皇──仲恭天皇
       鳥羽天皇─┴後白河天皇──二条天皇六条天皇 後鳥羽天皇─┴土御門天皇後嵯峨天皇
               ├────高倉天皇──────┴守貞親王───後堀河天皇四条天皇
         平時信─┬平滋子    ├───安徳天皇
    【桓武平氏高棟流】平時忠  平徳子
             平時子  平宗盛─┬平清宗
                  平知盛 平能宗
    【伊勢平氏】     ├───┴平重衡
    平正盛─┬平忠盛─┬平清盛
            ├───┬平重盛─┬平維盛──六代平高清
           高階基章娘平基盛 平資盛
                     平清経
           平家盛       平有盛
           平経盛──平敦盛
           平教盛─┬平通盛
               平教経
           平頼盛─┬平保盛
           平忠度 平為盛
            
          ├──┬平家盛
         池禅尼 平頼盛
              
        平忠正──平長盛
        └─娘
    藤原有綱娘 ├──源経国、義高、忠宗、義清、義雄
     ├───源義忠
    源義家【清和源氏】

軍記物

  • 平忠盛(平清盛の父)が入手した「木枯」と同物で、「抜丸」と名を変えたという。

    元は「木枯」と号されていたもので、ある時午睡している忠盛を大蛇が飲み込もうとする。そのとき小烏丸がひとりでに抜け、大蛇に向かったため大蛇が恐れをなして逃げ出した。これ以降「抜丸」と名を変えた。ただし音では「木枯(こがらし)」と「小烏(こがらす、小烏丸)」の一字違いであり、伝承が混同された可能性が高い。
  • 平重盛が佩いていたともいう。

    左衛門佐重盛は生年二十三、今日の戦の大將なれば、赤地の錦の直垂に、櫨の匂ひの鎧に、蝶の裾金物打つたるに、龍頭の兜の緒を締めて、小烏と言ふ太刀を履き、切生の失負ひ、重籐の弓持つて、黄月毛なる馬に、柳桜摺つたる貝鞍置かせて乗り給へり。
    (平治物語 待賢門の軍の事付けたり信頼落つる事)

平家物語

  • 「小烏」の太刀は、「唐皮」と共に平貞盛より平維盛まで伝わっていたが、その後六代へと伝わる。

    唐皮と云ふ鎧、小烏と云ふ太刀は、平將軍貞盛より當家に傳へて、維盛迄は嫡々九代に相當る。若不思議にて世も立なほらば、六代に給ぶべしと申せとこそ宣ひけれ。
    平家物語 維盛出家)

  • この「六代」とは平高清のこと。父は平維盛。平清盛の曾孫にあたる。平正盛から数えて直系の六代目に当たることに因んで「六代」と名付けられた。

    唐皮ト云鎧、小烏ト云太刀ハ、當家代々ノ重寶トシテ我マエ嫡々ニ相傳ハレリ肥後守貞能(平貞能)カ許ニ預置ケリ、其ヲハ取テ三位中將ニ奉レモシ不思議ニテ世モ立ナヲラム後ニハ必六代ニ譲リ給ヘト可申トテ雨々トソ泣給フ

    • この六代へと伝わった伝説は「江馬小烏丸」へと引き継がれる。
  • 長門本平家物語にはもう少し詳しく載る。

    清盛ちや(く)なんたりしかは、その跡をつき國々を護るのみならす、家の寶物他家へうつす事なけれは清盛是を相つく、中にも唐皮小烏といふ鎧太刀は清盛にさつけらる(中略)小烏といふ太刀は、からかは出來てのち七日と申ひつしの時計に、主上南殿に御ありて東天を御拝あるに、八尺の靈鳥とひきたりて大ゆかに侍り、主上御笏をもてめしあり、靈鳥御ましの御緣にはしをかけたり、靈鳥申ていはく我は大神宮よりの御劒の御つかひなりとて、はねのしたより一の御はかせを御前におとしたり、主上此御はかせを身つからめされて八尺の大靈鳥のはねの中より出來る所なれはとて、小烏とはつけさせ給、からかは小烏ともに天下の重寶と君執し思召さる、されは本朝の寶物には甲冑砂金銀兵仗水破兵破太刀我國にあると云事是也、たのもしかりし事なり、されは代々内裏につたはりしを貞盛のときより此家に傳る希代の寶物是也

古剣書

  • 鎌倉幕府侍別当の和田義盛の家に伝来。建暦元年(1211年)義盛が北条氏を討つべく兵を挙げた時、足利義氏が和田義盛を敗死させたため小烏丸は義氏の手に渡った。

  • 義氏五代の孫が足利尊氏であるが、義氏の後の伝承は不明となっている。

  • 元来は正倉院に所蔵されていたが、平将門の乱の際に朱雀帝が平貞盛に与えたともいう。

  • こうして平氏伝来の天国作の太刀は、行方不明になる。

別の小烏丸

  • 上記の平家伝来の小鴉丸とは別に、複数の同名刀が存在する。
  • もっとも高名なものは、小烏造が特徴的な現皇室御物の「小烏丸」である。

小烏丸(伊勢家伝来)

太刀
無銘(号 小烏丸
二尺四分(刃長62.7cm)、反り1.3cm
附 錦包糸巻太刀拵
総長93.5cm
御物
山里御文庫 御剣庫蔵(宮内庁管理)

  • 現在御物として伝わっているもの
  • 詳細は「小烏丸」の項を参照。

小烏則重

則重

源氏重宝「小烏」

源氏重代の太刀

  • 源為義が播磨から名工をよび、”獅子の子”そっくりの模造をさせた。そして柄に烏の図を彫った目貫を入れ、「小烏」と称した。

  • この「小烏」は「獅子の子」より二分ばかり長かったが、その後この二刀を並べて建てておいたところ、獅子の子が小烏に倒れかかり、中心を二分ばかり切ってしまい、その結果同じ長さになった。

    これより後、「獅子の子」は「友切」と名を変える。
  • 「小烏」の方は、為義から嫡子義朝へ譲られるが、平治2年(1160年)尾張野間において浴室で誅殺されると、「小烏」は平清盛のもとへ送られたという。

  • その後は行方不明。

成田山新勝寺

  • 安政のころ、成田山新勝寺に、江戸麻布の柏屋重次郎が寄進したという。

  • 小烏丸】【江馬小烏丸

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