大神惟基
名刀レスポンシブ1
大神惟基(おおが これもと)
豊後大神氏の祖
あかがり大太(胝大太)
概要
- 豊後の大神氏は、阿南氏、臼杵氏(戸次氏、佐伯氏、緒方氏)、大野氏、稙田氏、十時氏など37氏の祖という。
- 大神の祖は大和大神氏であり、その分流である大神良臣が仁和2年(886年)に豊後介を任じられた。その善政を慕った領民の願いにより、任期後にその子庶幾が大野郡領としてとどめられ、さらにその子の惟基が豊後大神氏の始祖となったとする。
出生伝説
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平安時代中期~後期の大神惟基には不思議な出生伝説(蛇神婚伝説)があり、「平家物語」や「源平盛衰記」、「九州治乱記」、「大神氏系図」などに記される。
惟基の母については、塩田の里の大太夫の娘花の本、藤原仲平の娘、藤原伊周の娘など諸説ある。 -
それによれば、大神惟基の母の元に立烏帽子に狩衣を着た立派な若者が毎晩通ってきて、ついに娘は子供を身ごもってしまう。母に唆された娘が男の狩衣に糸を通した針を刺してその後を付けていくと、男は祖母山の麓の岩穴へと入っていった。
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岩屋の入り口に立つと中からうめき声が聞こえた。そこで娘が姿を見せるように請うと、男は大蛇の本身を現した。そして、狩衣に刺したと思った針は大蛇の喉元に刺さっており、大蛇は「生まれてくる子供は男児であり武芸で九州二島に並ぶ者はないであろう」と告げると息絶えてしまった。
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やがて生まれた子は大蛇が言うとおり男児で、祖父から名を取って「大太」と名付けられた。男児は成長が早く、7歳で元服。大太は冬夏かかわらず1年中手足があかぎれでひび割れていたため「あかがり大太(胝大太)」と呼ばれたという。これが後の大神惟基だという。
子孫
- 胝大太こと大神惟基は、のちに肥後の菊池の婿となり、5人の男児をもうけたという。
- 長男:高千穂太郎政次。日向国臼杵郡高千穂郷を本貫とし三田井氏の祖となる
- 次男:阿南次郎惟秀。豊後国大分郡阿南郷を本貫とし、阿南氏の祖となる
- 三男:稙田七郎惟平。豊後国大分郡稙田郷を本貫とし、稙田氏の祖となる
- 四男:大野八郎政基。豊後国大野郡を本貫とし、大野氏の祖となる
- 五男:臼杵九郎惟盛。豊後国海部郡臼杵荘を本貫とし、臼杵氏の祖となる
鱗
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佐伯氏の子孫には、大神惟基の出生伝説を裏付けるかのように、「鱗」が出たという。
柳祖母嶽大明神の家は代々鱗有り、前佐伯惟定の嫡男惟重の時元和五己未歳十一月廿日脇の下より一つ出る、我年号日付して是を認む、前の惟定には三つ出たる由聞ゆ
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14代当主佐伯惟定は3枚
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15代当主佐伯惟重は1枚。元和5年(1619年)11月20日
刀
巴作太刀
- あかがり大太の母が、大蛇から授けられた太刀は「巴作太刀」と呼ばれ、豊後佐伯氏に伝わった。