弥正宗
名刀レスポンシブ1
弥正宗(いやまさむね)
短刀
在銘
長八寸五分
由来
- 不明「弥(彌)」という字は、音読みでは「ミ」あるいは「ビ」と読み、梵語の「み」の音訳に用いられます。刀剣鑑定家の本阿彌も、元が本阿彌陀佛であるためこの字を用います。また訓読みでは「いよ」や「いや」と読み、「いよいよ」「ますます」あるいは「きわめて」「たいそう」など程度が甚だしいさまを表します。
来歴
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徳川将軍家以前の来歴は不明。
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元和2年(1616年)4月8日臨終の時を迎えた家康は、枕頭に前田利常、島津家久、細川忠興、伊達政宗ら外様雄藩の藩主を呼び出し、後事を託す。
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このとき島津忠恒(薩摩藩初代藩主)は、家康から「ていや正宗」という脇差を拝領したとされる。
八日大御所御けしき彌重くわたらせたまふ。松平筑前守利常。 島津陸奧守家久。 細川忠興入道三齋等を御病床にめし。 御遺物とて各刀劍を給ふ。
四月朔日台徳院殿家久に帰国のいとまをたまはり吉光の御刀をたまふ。ときに東照宮の御不例日々におもらせたまふ。八日家久を奥の御座にめされ、懇の御諚ありていや正宗本阿彌が家の譜記には蘆屋正宗につくる。の御脇指を拝賜す。これ御永訣をおぼしめさるゝによりてなり。
(寛政重脩諸家譜)
春三月 家久公駿府ニ至リ述職ス時ニ前將軍蓐ニ臥ス時ニ家久公松平陸奥守松平肥前守細川越中守四矦ヲ召シ永訣ヲツケ各刀ヲ賜テ紀念トセシム按ニ彌正宗ヲ 家久公ニ賜フ今猶存ス四矦落涙數行シテ退ク -
本阿弥家の控えでは、これが「藁屋正宗」と記載されており、これが芦屋の誤記ではないかとされる。詳細は「芦屋正宗」の項を参照のこと。※ただし島津家の「御納戸御道具」では別々に記載されている。
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島津家「御納戸御道具之事」
御脇差
一腰 弥正宗作、長八寸五部
但家康公より 家久公御拝領
※参考)芦屋正宗
御脇差
一腰 芦屋正宗作、長九寸分半
但光久公御脇差 -
享保7年(1722年)
一、御脇指 一腰彌正宗
元和二年四月八日
家康公御不例御大切被成御座候砌、松平陸奥守様・松平肥前守様・細川越中守様 家久公駿府御城え被爲召爲御暇乞、各御腰物御脇指御拝領被成候、其節 家久公えは右御脇指御拝領被遊候 -
昭和4年(1929年)の島津侯爵家売立にて出品されている。落札価格は1585圓。
彌正宗
長八寸五分
表裏樋アリ、在銘
家康公ヨリ家久公拝領※混同される「芦屋正宗」については、前年の昭和3年(1928年)の売立で出品され、6400圓の値がつくが親引きされている。