高木復
名刀レスポンシブ1
高木復(たかぎふく)
- 明治30~40年代の刀剣界において、今村長賀・竹中公鑒と並び三傑と称された人物。
概要
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越後新発田藩の藩士。
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弘化3年(1846年)生まれ。
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23歳のとき、明治維新を迎える。
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その後東京に出て大蔵省に務めるが、溝口家の家令となり財政管理を行った。溝口家の屋敷(現在の港区新橋烏森)に住んでいたという。
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師である本阿弥成重(平十郎)に終生変わらぬ礼節を尽くし、その養子である本阿弥琳雅に代替わりしても変わることがなかったという。
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大正3年(1914年)に69歳で死去。
刀剣
光徳指料
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平造、三つ棟、内反り。なかご生ぶ、先栗尻張る。目釘孔1個。表中央と裏に銘が入る。
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本阿弥家で代々家宝として伝えたが、維新ののち本阿弥本家の第20代悌三郎忠通の時に、本業を放棄した際に手放し、同家を出ていた。
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これを高木復が購入していたが、晩年になって師であった成重の養子である本阿弥成善(琳雅)に譲ってしまっている。
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本阿弥琳雅の所持している時に関東大震災に見舞われるが、この光徳指料備前長重短刀は持ちだされ無事だった。その死後、本阿弥日洲氏に伝わった。
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昭和17年(1942年)6月25日重要文化財指定
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昭和28年(1953年)11月14日国宝指定
空腹先生
- ある時知人が角虎(虎徹)の名品を持ち込んできて鑑定を依頼した。それに対して、「某、空腹といえども三百金は奮発仕るべし」と返事をしたため、その後、知人は高木のことを「空腹先生」と呼んだという。
3圓
- 高木が明治初年頃に3圓で買い入れた近江大掾忠宏の直刃の刀があった。明治32年頃、この刀を貴族院議員であった野口褧が懇望したところ、当時相場では30圓ほどもしていたのだが、高木は3圓で買い取ったものだから3圓でよろしいといってそれ以上は受け取らなかったという。
大石の幽霊
- 刀屋の万六こと佐藤六兵衛が、ある時一竿子忠綱の刀に大石内蔵助の所持銘がある刀を持ち込んでみせた。すると高木は失笑し、これは大石の幽霊が一竿子に注文したものと見えるといった。元禄年間の年紀銘が内蔵助死後だったからであるという。
- ※大石内蔵助は元禄16年(1703年)2月4日死去(切腹)。元禄17年(1704年)3月13日に宝永に改元。