乱藤四郎
名刀レスポンシブ1
乱藤四郎(みだれとうしろう)
短刀
銘 吉光
名物 乱藤四郎
個人蔵
由来
来歴
細川勝元
- 細川勝元は室町幕府管領家である京兆家(嫡流家)当主。のち管領。応仁の乱では東軍総大将となる。
足利将軍家
- のち「乱藤四郎」は足利将軍家に献上される。
朽木元綱
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永禄11年(1568年)9月28日に信長が義昭を奉じて入京、同10月18日には14代将軍足利義栄を廃し、義昭が15代将軍となる。
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そのわずか3ヶ月後の永禄12年(1569年)1月6日、美濃に戻った信長の留守を伺い、三好一族が15代将軍足利義昭を本圀寺に囲む。
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このとき江州朽木の朽木元綱がこれを救い出し、その恩賞として与えられた。(本圀寺の変)
この時信長は、「本圀寺急襲される」の報を受け、本来3日かかる道程を大雪の中2日で走破し、1月8日にわずか10騎足らずの供を連れて本國寺に到着したという。
秀吉
- のち秀吉が所蔵。
備後福山藩主阿部家
- その後備後福山藩主阿部家に伝来するが、そこまでの経緯は不明。
その後
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昭和7年(1932年)に当麻国行とともに同家を出た。
この現国宝の当麻国行は、その後ぎょうせいの中興の祖藤沢乙安氏の所蔵となり、のち日刀保の刀剣博物館へと寄贈された。 -
昭和11年(1936年)細川利文子爵所持。長さ七寸四分半
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昭和47年(1972年)には飯田稔氏所持。
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現存、個人蔵