横雲正宗
名刀レスポンシブ1
横雲正宗(よこくもまさむね)
短刀
朱銘 横雲正宗/光徳(花押)
8寸7分
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享保名物帳所載(ヤケ)
横雲正宗 長八寸七分 不知代 御物
竹中伊豆守殿西国へ下向のとき、一日海へ落し上る「新古今」三十七首の家隆卿の歌に「霞たつ末の松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空」この心を以って名付けたり、表忠に「横雲正宗」、裏に光徳判と朱銘。なり -
平造り、彫り物なし。切先二重刃、鋩子乱れ込みほとんど焼き詰め。
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中心うぶ、目釘孔1個。のち2異なる。
由来
- 竹中伊豆守重利が豊後1万石を領し入部する際に、誤って海中へ落としてしまい、その後拾い直した時に、古今和歌集の藤原家隆の歌にちなんで名づけたという。
霞たつ 末の松山 ほのぼのと 波にはなるる 横雲の空
- ほのぼのと夜が明けていく中、たなびく横雲が波を離れるかのように空へ立ち上ってゆく。藤原家隆
来歴
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竹中伊豆守重利は、高名な竹中半兵衛重治の従弟にあたる。
安藤守就娘
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├─重門
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竹中重氏─┬重元─┬重治
│ │(半兵衛)
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│ ├重矩
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│ └重元娘
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└重光──重利- 半兵衛の兄妹である竹中重元の娘を娶り義弟となっているため、弟との記述も見受けられる。
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竹中重利は、天正7年(1579年)重治が死去した後に秀吉の直臣となり、当初は美濃長松3千石を領す。
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文禄3年(1594年)豊後国国東郡高田で1万3000石を拝領しており、この際の逸話と思われる。
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のち将軍家御物となるが経緯はよくわかっていない。
竹中重利の子、竹中重義は長崎奉行となり、その任期中に商人平野屋三郎右衛門の妾を奪おうとする。平野屋が処罰を恐れ堺に逃げると、その兄市郎兵衛を投獄する。平野屋が江戸に下り幕府に訴え出たために調べてみると、輸入した鮫の名品や、村正の刀を24口の所持していたことがわかり寛永11年(1634年)2月切腹を命じられている。この時没収されたと見られる。 -
享保名物帳のころは将軍家所蔵。
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のち豊前中津城主奥平家に下賜される。
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明治維新後も奥平家所蔵。同家では「うたの正宗」とも読んだという。
横雲正宗
短刀
金象嵌 正宗/光徳(花押)
刃長九寸強
- 平造り、差表に三鈷柄の剣、裏に梵字の彫り物。中心はうぶ、目釘孔3個。
由来
- 不明だが、差表の剣の上に横雲のたなびいたような飛び焼きがあるのにちなむとされる。
来歴
- 加藤清正所持。
- 伏見で家康に献上した。
- 天保3年(1832年)までは将軍家所蔵。
- のちどこかに下賜されたのか、明治年調べの腰物台帳には載っていない。