北野江
名刀レスポンシブ1
北野江(きたのごう)
刀
金象嵌銘 江磨上 光徳(花押)
2尺3寸(69.8cm、反り1.8cm)
東京国立博物館所蔵
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郷義弘の作
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享保名物帳所載
北野江 象嵌銘二尺三寸分半 代五千貫 松平加賀守殿
泉州堺にて光瑳光益両人にて求め、光徳千五百貫に極める、慶長十九年の夏、利光卿御逝去御継目のため御息利常卿江戸駿府へ御下りの時、光瑳名古屋迄御見舞に罷出其節右刀持参申召上らる、其後御上洛の刻利常卿北野松梅院御旅館神谷川の末にて御試し大切れなり -
鎬造、庵棟、身幅尋常にして中鋒。
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なかご大磨上。
由来
- 入手した前田利常が、北野天満宮の松梅院で試斬をしたため。
来歴
本阿弥
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本阿弥光瑳(本阿弥光悦の子)と光益(本阿弥光徳の子)が泉州堺で求め、光徳が江と極め、1500貫(金37.5枚)の折紙をつけた。
泉州堺にて光瑳光益両人にて求め光徳千五百貫に極る
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この時に、光徳がなかごに金象嵌を入れている。
江磨上 光徳(花押)
埋忠銘鑑では象嵌銘を光悦の筆を参考にしたもの(「江 北野江象がん光悦筆にて」)とする。
前田利常
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慶長19年(1614年)の夏に前田利長(利家長男)が逝去し、養嗣子である前田利常が相続届けのために江戸に下る際、本阿弥光瑳が名古屋まで襲封見舞いに出てきてこの刀を見せ、利常がそこで買い上げたという。
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その後、北野天満宮松梅院の宿に泊まった折に試斬りを行い、紙屋川のほとりで試し切りをやらせ、切れ味が良かったためその場所の名をとって「北野江」と名づけたという。
其後御上洛の刻利常卿北野松梅院御旅館神谷川の末にて御試し大切れなり
紙屋川は現在の天神川。上流では紙屋川の名前が残るが、北野天満宮の横を流れていたため天神川と呼ばれることになった。 -
なお北野天満宮松梅院は前田家の祖神を祀る。異説に、北野参詣の折に買い求めたともいう。
松梅院 (しょうばいいん)
松梅院は北野天満宮の「院家」(嗣官)のひとつで、妙蔵院、徳勝院と共に近世北野三院家と称される。桃山期の松梅院禅永は、妹の阿左古が秀次の側室となり子をなしていた関係から一時期追放されるが、秀吉の死後に戻り、隠居後に徳勝院を創始している。
前田家代々
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享保名物帳のころには五千貫に上がっている。
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前田家では度々手入れのために江戸藩邸に送っており、明和8年(1771年)、文化9年(1812年)の記録が残る。
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明和8年(1771年)に御砥のために江戸へ取り寄せ。
明和八年七月十日、從御國江戸へ被遣候御道具
送目録、
江戸御道具御國殘帳
一、小手切正宗御刀
御鎺金無垢、御切羽赤かね、白鞘
同帳二
一、北野卿御刀
御鎺金無垢、御切羽赤銅、白鞘
同帳
一、備前國雲次御刀 代金三拾枚折紙
御鎺金無垢、白鞘、
〆三腰 -
文化9年(1812年)に本阿弥長根がお手入れした記録が残る。
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弘化3年(1846年)御腰物等寄帳
無代御刀之部
三番
一 北野郷御刀 長貳尺三寸
御鎺 金 切羽 銅 鵐目 金
御目貫 金蟹
御緣 眞鍮、秋草毛彫
御鮫 黑塗
御鞘 黑塗
御鞘 浅葱絹
御鐔等無之
明治天皇
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のち、明治43年(1910年)7月8日(9日とも)、前田侯爵邸に行幸のさいに、前田利為から明治天皇に献上された。
行幸 天皇陛下ハ御豫定ノ如ク昨八日午前十時三十分御出門侯爵前田利為邸ヘ行幸午後七時二十五分還幸アラセラレタリ
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昭和8年(1933年)遊就館出展時は御物。
御物 名物越中国義弘御太刀 壱口 北野郷ト称ス