稗穂
名刀レスポンシブ1
稗穂(ひえほ)
河内泰包作
平繁盛所持
来歴
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もと平繁盛所持(平維茂らの父)。
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初陣となる保元の乱のまえに、後白河法皇方の平清盛に味方する約束で金子家忠が拝領する。
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保元元年(1156年)7月の保元の乱では、同じ村山党の仙波家信らと共に後白河天皇方の源義朝に従い、源為朝が守る白河の御殿を攻め、高間三郎兄弟を一騎討ちで倒した。
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その後家忠の婿平左衛門時氏に伝わった。のち平景時を経て三浦の和田家へ伝わるが、その後は行方不明。
金子十郎家忠
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金子十郎家忠は武蔵国入間郡の武将で、武蔵七党村山党・金子氏の一族。
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平治の乱では源義平のもとで活躍する。このとき、女装して清盛の六波羅邸に逃げる二条天皇の牛車を覗くが、あまりに美しく女装を見破ることが出来なかったという。
この平治の乱でも奮戦の上で太刀を折ってしまい、足立右馬允遠元に頼みその郎党の太刀を借りている。 -
治承年4年(1180年)には衣笠城合戦に平家方として畠山重忠などとともに参加し、21本の矢を受けたが一歩も退かずに戦い、敵の三浦義明も感嘆したという。和田義盛にあごの下を射られ退却した。
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その後は、源頼朝に従い、源義経の平氏追討軍に属し、その功績により武蔵国金子、伊予国新居、播磨国鵤荘ほかの地頭となった。